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高槻鎮護の御社 野見神社
野見神社の御由緒
宇多天皇の御代に当地方に悪疫が流行したとき「社殿を作り牛頭天王をお祀りすれば悪疫が治まる」 というお告げがありました。そして久米路山に社壇を設けて崇拝すると、にわかに悪疫は終息しました。 そののち10世紀末に高槻城が築城されると、高槻城の城内守護として牛頭天社は時の城主に崇敬をうけました。明治はじめに野見宿禰命を合祀したのをきっかけに、名を「野見神社」へと改名いたしました。現在は高槻の鎮守さまとして市民のみならず全国から多くの方が参拝されております。
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